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徒然

2009年11月04日 23:15

最近、ふとした時に、偏頭痛がするようになった。

なんだろう・・・

あ、これ、アレかな?

ネコ耳生えるのかな!(違うにゃ


・・・

痛いにゃ。私。





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本当に、良い後輩を持ったと思う。

同時に、悪い先輩を、彼らには持たせてしまった。

持たなくても、いいのに、ね。

人間関係は大切。

でも難儀だったりする。

良い意味でも、悪い意味でも。



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私自身は、どうかと言うと。

平坦に、日々を過ごしているだけ。

世界から、今すぐに溶けてなくなっても、何も問題はないのでは?

こんなこと、言ったら絶対に怒られるけど。

もう、ほとんど、誰も見ていないとわかっているからこそ、書いてみる。

残酷。

時間も、感情も、甘えた心も、人間であるが故、だろうか。

言うことと、行動が正反対だ。

人は、言葉にすることで、どうなる?

再確認?

何をするのだろう?

私の場合、

言葉に変えて改めて言われると

嬉しかったり、反省できたり、自分の基準に即して選択をするのだけれど

それ以上に。

安心しきってしまう。

無知は罪と言うけれど

無自覚もまた、罪なのだろうか?

私は、自覚こそ、怖い。

自覚しなければ、自覚さえしなければ

失くさなかったものもあるのでは?とさえ思う。

それでも、それは。

自分の脆弱性を見事に指し示している。

そう、考えることは。

そして、そこには。

自分が、ない。

実際、自分が評価されるようなこと事態が、

私自身には、驚くしかないようなことで。

どこを判断基準にしているのか、よくわからない。

普通に話しているところとか、雰囲気とか。

まぁ、よく、わからない。

とりあえず。

自分が今持っているものを考えたときには

自然な自分、しかない。

知識だとか、自分と関わりを持っている他者だとか、そういうものを除けば。

努力して勝ち得たものが、

生まれてこの方、一度もない。

努力って、なんだ。

頑張る、ってなんだ。

いや、あるのかも知れない。

でも、ないかも知れない。

忘れてるだけかも知れない。

でも、自分はただ

記憶の中の自分はただ・・・

そこに在るだけ?

存在しているだけ、の自分。

あ、頑張った記憶もちょっと思い出してきた。

でも逆に、何が言いたいのかわからなくなってきた。

あ、それをなくすために、文章にするのか。

聴いてくれる他者、というか、話す相手がいない状態で

自分自身を、自分の意見を、整理したりするには

文章化して、読み直すしか。


でも、読むのは自分自身?

そう考えると、他者と触れ合う時間っていうのは、すごく貴重な時間のような気がしてきた。

かけがえのない、時間。

こういう風に書くと、絶対にひとつの解釈しかされなくて

怒られる時があるのだけれど・・・

ここの、今の記事の場合、ほとんど誰も(ティルくらいしか?)見ていないことを想定して書いているから、理解を意図してないから大丈夫だと思う!

でも、kotonohaの記事くらいは、誰かに見ていて欲しいにゃ。(にゃ!?



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現実が欲しい、と嘆いてみせる。

現実があれば、理解があって、解決をみせるだろうから。

でも、現実にしてしまえば、夢は消える。

時々、現実さえなければ、と思うこともある。

夢オチ、ではないけれど、

夢の中で、手に入れる何か。

現実を知っているからこそ、それが空しいものだと気づく?

でも、そこであったものは、本当に、「ないもの」だろうか?

それは、誰が判断できる?

他人に言わせれば、それは一目瞭然、一蹴されて終わりな考え方。

現実こそ、なくていいのでは?

現実。

楽園を追放された人々の住まう世界。

私も、そこに甘んじて住んでいる人間である以上、

理解は及ばない・・・

そこから出ることは・・・そこにあるものは・・・

何?


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人間じゃなくなったらいいのにゃ!!


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とりあえず、常識人ぶってみようか。形だけでいい。

自分の思想上の立ち位置は、割りと他人にはどうでもいいことだと思うので。

そういう意味では、私は、曖昧でいい。

世界の共有を掲げてきたり、心の扉を叩いてきた人には・・・というか

聴かれたら、特に隠したりするつもりはないけれど。

扉はいつも開かれているよ。

閉めるつもりも、開けるつもりもない。

というか、そもそもそこに扉はない。

底に扉はない。



う。。ん。。

他人に認められるって大事だと思う。

脈絡ないけど
これがまとめだにゃ!!


ここの存在は知ってて欲しいけど

見てて欲しいけど



それは私に興味がある人だけでいい。















のかな?

はずだにゃ。

ね、ティル。

ここは、そういう森だものね。

見たい人にだけ見ることができる、訪れたい人が訪れることができる、森。

言葉。

音。

そんな場所。

Ydalir(ここ)の桜は

咲いていると信じている人にだけ咲いているし、

私たち自身も

存在を信じている人にだけ、存在している。

例えそれは「ゲンジツ」というモノであっても

例外ではないのだっ。
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